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東京高等裁判所 昭和38年(行ナ)53号 判決

〔判決理由〕

1 原告主張一、二の事実は、当事者間に争いがない。

編注 一、被告は、登録第四五八、一八三号商標(変体仮名と漢字の筆書体で「なだ万」と縦書きしてなるもの。以下本件商標という)の商標権者であつて、これは旧商標法施行規則(大正一〇年農商務省令第三六号)第一五条の規定による商品類別第四五類「他類に属しない食料品及ぶ加味品」を指定商品として、昭和二九年二月一二日登録出願、同三〇年一月一四日登録されたものである。

二、原告は、昭和三五年一月一一日特許庁に対し、右商標は、原告らが永年の間蒲鉾その他の食料品に使用し周知著名となつた標章「なだ万」および「灘萬」(以下これらを引用標章という)と類似し、旧商標法(大正一〇年法律第九九号)第二条第一項第八号に該当することを理由として、登録無効審判の請求をしたところ(昭和三五年審判第二五号事件)、特許庁は昭和三八年四月五日、本件商標の登録出願当時、右引用標章が取引者または需要者の間に広く認識されていた事実を認めることができない、として、審判請求人の申立は成り立たない旨の審決をし、その謄本は同月一六日原告に送達された。

そこで、本件商標の登録出願がなされた昭和二九年二月一二日当時、原告主張の引用標章「灘萬」または「な万」が取引者または需要者間に広く認識されていたかどうかを、以下判断する。

2 <証拠>ならびに本件口頭弁論の全趣旨によれば、

おそくとも明治四二年ごろ、大阪市東区北浜二丁目に料理屋「灘萬」と「灘萬蒲鉾店」とが存在し、当時の電話番号簿に掲載の電話加入名義は、前者が楠本万助(旧名専太郎)、後者は楠本幸治郎(戸籍上は幸次郎)となつていたが、楠本幸次郎は旧名三嶋金太郎といつて六才のころ楠本万助の養子となつた者で、灘萬蒲鉾店の実際の経営者は楠本万助であつたこと。同店は、その製造販売する「灘萬蒲鉾」が甘口の特徴をもち、当時大阪市で好評を博したので、蒲鉾商として一、二の有名店に挙げられていたこと。大正時代に入り、万助の長男栄三郎が経営に関与することになり、大正一三年五月一〇日北浜二丁目一九番地を本店所在地とし和洋食料品の製造販売等を目的とする「合資会社灘萬」を設立して、栄三郎、万助、万助の妻トクが社員となり、その営業場所として本店所在地の北浜交差点に当時としては珍らしい鉄筋コンクリート五階建店舗を建築し、大正一四年四月大規模な「灘萬食料品店」を開業し、ここで従来の灘萬蒲鉾のほかに広く魚類みそ漬、粕漬など食料品の製造販売、和洋菓子パン、缶詰、洋酒類の販売を行なうにいたり、同食料品店の開業と同時に従来の灘萬蒲鉾店を廃業し、これを右の総合的大店舗にいわば発展的解消させたこと。灘萬食料品店では、蒲鉾その他の食料品に「灘萬」の文字またはこれに♯(井げた印)を附加して成る標章をつけたレッテル、包装紙を使用していたこと。北浜にあつた料理屋灘萬は、そのころ東区今橋五丁目一九番地に移転し、大正一三年九月一日同所を本店所在地とし和洋料理、食堂を目的とする「合資会社今橋灘萬」(原告の前身)が設立され、楠本豊、同春江、同修(原告代表者。栄三郎の子)らの楠本一族が社員となり料亭を経営することになつたこと。

そして北浜の灘萬食料品店と今橋の料亭灘萬とは、法人格は別個であつたが、両者とも楠本一族の経営する同族会社で、前者を食料品部、後者を料理部などと呼ばれることもあり、その実体は、楠本一族のうち特に栄三郎が父万助を継いで支配していた一個の経営と見てさしつかえなく、取引先その他世間の人もそのように考えていたこと。(これよりさき、栄三郎が大正一〇年九月六日登録出願、同一一年一月一〇日登録をもつて旧第四五類他類に属しない食料品および加味品を指定商品として登録第一三九九二九号商標「灘萬」の商標権を取得したこと、およびこの商標権が昭和一七年一月一〇日存続期間満了により消滅したことは、当事者間に争いがない。)昭和一〇年に灘萬食料品店は経営不振のため閉鎖されるにいたつたが、灘萬蒲鉾店当時から永年にわたる蒲鉾およびその他の食料品の製造販売業者として、灘萬の屋号は大阪市およびその附近のかなり広い地域にわたり同業取引者間はもちろん消費者一般の間に知れわたり、それらの商品の包装紙、レッテルに表示された前記「灘萬」の標章は、商品の出所として灘萬の屋号を表示すると同時に、前記登録商標の表示として右同様に取引者、消費者間に広く知れわたつていたこと。食料品店閉鎖後は、今橋の料亭灘萬のみ営業を続け、その料亭において食料品の製造販売を維持したが、取引先は従前から大口取引のあつた顧客や顔なじみ客を主とし、一般世人を相手とする店頭販売ではなく規模も小さいものであつて、やがて戦時となり食料の統制時代にはいり営業は中絶し、料亭も旅館に転用されたりしたこと。

以上の各事実を認めることができる。なお乙第一、二号証によれば、灘萬蒲鉾店が大正一四年四月末日かぎり廃業する旨の新聞広告をしたことが認められるが、その廃業のいきさつは前記認定のとおりであるから、そのことだけで「灘萬」の標章を用いる蒲鉾その他の食料品が姿を消し、同商標の使用が絶えてしまつたということはできない。

3 <証拠>ならびに前段2の認定事実および本件口頭弁論の全趣旨を総合すれば、

戦後、食料品等の統制解除にともない、昭和二三年一二月ごろ合資会社今橋灘萬は、神戸市の有名な蒲鉾店である貝屋から同店が製造する焼とおし蒲鉾を継続的に買い入れる契約をし、注文により随時これを仕入れていたが、その量は当時の貝屋の一日の製品全部を買い入れることもあつたが、季節による変動が多く、少ないときは店員が肩にかけて運搬できる程度の量であつたこと。昭和二八年からは貝屋のほか、大阪の有名蒲鉾店であり、その前年末頃から焼とおし蒲鉾の製造を始めた和田八蒲鉾店からも右同様の方法で主として焼とおし蒲鉾を仕入れ、仕入量はしだいに増加したが、買入金額にして一か月数千円の月から、多いとき(年末年始)は数万円ないし十数万円の程度であつたこと。右のように貝屋および和田八から仕入れて販売した蒲鉾は、焼とおし蒲鉾を主とし、いわゆる上ものであつて、その絶対量からいえばさほど多くはないが、当時におけるこの種の製品の販売量としては少なくない量であつたこと。

今橋灘萬は、戦後料亭の屋号を「な万」と表示することに改めていたが、右のように貝屋から仕入れた焼とおし蒲鉾は、貝屋の了解を得て同店のレッテル、包紙を取り除き、竹かご入りの右商品に「大阪名代な万焼とうし蒲鉾」と「な万」の文字を標章の主要部として表示したレッテルを付し、円輪郭中に「今ばしな万」の文字を表示し檜葉ようの図柄に井桁印をあしらつた掛け紙で包み、主として、料亭の顧客の注文により、その顧客が招待客または取引先に贈呈する引出物ないし進物用として販売したこと、(和田八からの仕入品の販売について使用した標章については明確な証拠はないが、証人Fの証言によれば、和田八蒲鉾店でも買入先の料理屋等が自店のレッテルを用いて客に売ることは諒承していたことが認められ、今橋灘萬でも貝屋からの仕入品と同様に前記のような「な万」の文字を表示した標章を使用していたことが推認される)また蒲鉾のほかに、自家製造の鮮魚みそ漬も「今ばしな万」の表示のあるレッテルをつけて蒲鉾と同様の方法で販売していたこと。合資会社今橋灘萬は昭和二六年四月営業目的を不動産の賃貸等に変更し、同年五月一〇日「株式会社灘万」が設立されたこと。同株式会社は、本店所在地は右合資会社と同一場断であり、楠本豊、同憲吉ら楠本一族を役員とする同族会社で、右合資会社が経営した料亭や前記蒲鉾等の仕入販売の営業をそのまま承継し、取引先や世人は、その承継の前後を通じて、これを「灘萬」という一個の経営であると考え、会社間の承継のような事実は意に介しなかつたこと。そして料亭「な万」は、大阪における有数の料亭として現在まで広く名を知られていること。

このようにして、蒲鉾をはじめ鮮魚みそ漬等の食料品に用いられる「な万」の標章は、さきに認定した戦前における商標「灘萬」の名声がきわめて高かつたことと、料亭な万の右のような戦後に及ぶ名声により支持されたこととあいまつて、(前記のように営業の一時中断があり、戦後の営業がいわば変則的でその規模が必ずしも大ではなかつたにもかかわらず)本件商標の登録出願がなされた昭和二九年二月当時からその登録がなされた昭和三〇年一月当時にかけて、なお相当多数の同業者や需要者に知られており、その経営主体において前記のとおり「灘萬蒲鉾店」から「合資会社灘萬」、「合資会社今橋灘萬」さらに「株式会社灘萬」へと、法人格上の変せんはあつたにせよ、社会的な実体としては終始「灘萬」という楠本一族経営の一個の企業体が、その商品である前記食料品に用いてきた標章として(戦後の「な万」は往年の「灘萬」の表現をかえたにすぎないものとして)、主として大阪市を中心とする地域の同業取引者および需要者の間に相当広く認識されていたこと。

以上の事実を認めることができる。<中略>

4 そして、本件商標がその外観、称呼および観念において引用標章である「な万」と類似することは明らかであり、その指定商品が右引用標章の用いられる商品と共通するところがあることも、いうまでもない。

5 そうすると、本件商標は旧商標法第二条第一項第八号の規定に違反して登録されたものであるから、同法第一六条等一項第一号、商標法施行法第七条第八項を適用して、審判によりこれを無効とすべきものである。

したがつて、原告の無効審判請求を成り立たないとした本件審決は違法であるから、その取消を求める原告の本訴請求を正当として認容……する。

(多田貞治 杉山克彦 楠賢二)

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